「表現力」と表現技術
twitter でつぶやいたの(夜のフィギュアスケート語り部:「表現技術」(2015/2/11))をまとめなおしました:
「表現力がある」→「表現技術に秀でている」
「表現力がある」っていうのとなんだかあやふやなので、「表現技術に秀でている」のほうが適当かでしょうか。感情表現の引き出しが多くそれぞれの動作が明確で、適切なタイミングで引き出せる。そういった表現するための技術が高い。
前にプルが体育会系TVでみゆちゃんに「これが表現力です」ってピシッと両手を広げて上を見るポージングをしたやつ、最初見たときは「それが?」って思ったけど、案外そうなのかもしれない。 この前のあっこちゃんのもそうね。適切なタイミングで意図する感情などを表現するために明確な動作を取る。
どのような場面でどういう感情をどういう動作で表すのかがCH、その動作が明確かがPE、音楽と合致してるかがIN。
そのような意図、意識が足りずになんとなく言われたとおりに手足を動かしてるだけだと、いわゆる「棒演技、ラジオ体操」になる。エレメンツをこなすことにばかり気が取られてしまうとなりがち。ジュニアの選手に多い。
感情表現の具体例
バッククロスでの感情表現の種類例。いつものゆきなさんの美のテクニックより:
まずそれぞれの動作でそれぞれの感情を表現出来ているか。演技の中途切れなく適切に表現できているか。それらが表現技術であり、「表現力がある」と言われている選手は、それらが高い精度で出来ており、バリエーションも豊富。
地上波では「表現力があります」しか言わないけど、岡部さんとか杉田さんは、逆に「何を表現しようとしてるのか見えてこない」ってよく言うね。 特にゆったりとした静かな曲を使ったジュニアの選手に対して。もっとテンポの乗れる曲使った方がやりやすいよ(意訳)、とも。
「表現力がある」筆頭ともいえる鈴木明子選手
まず引き出し、バリエーションが多い。愛や喜びをめいいっぱい表すプロから、静かで哀しげ、憂なもの、あるいはキル・ビルのようなキレのある格好良さ、はたまたコミカルちっくなものまで。それぞれのプログラム、場面にあわせた動作表現を持っている。
印象的なポージング、音楽の盛り上がりと同期した体の動き、手先指先まで意識の行き届いたこまやかな動き、単純なターンからのクロスでも、流れを途切れさせずに目線の動きなどを入れつつ、見る側の心情を惹きつけたままにする(投影: projection)
細かく分析すれば、各所にそのような動きが用いられてるはず。もし彼女の演技の解説をするのであれば、要素やフットワークに着目するよりは、そういった表現技術の具体例として取り上げたろうが効果的であろう。
一時期キル・ビルの影響からかとかく「目チカラ」的な取り上げられかたが多かったが、むしろ彼女は、喜びの表現こそ最も得意とするところだと思う。
表現技術という点からいうと、ジェフリーバトルについても見ていきたいところ。パトリックと並んで滑った映像を見たとき、ああ、こういう振り付け、意図であったのか、と。羽生のバラードも、表現しきれてない部分がかなり多いはずだ。最初の首体操からして、そこにはより深い意図と葛藤があるはず。
振付師の意図
振り付け師の意図、動作は、思ってる以上に選手に伝わっておらず、再現および表現なされていない。 振り付けの場面が時々放映でも流れることもあるが、実際においても、振り付け師が示した動きと、選手が続いて行う動作にはかなりの開きがある。魂の入った仏像と、入っていない仏像の差だ。 振り付け師は、自身の経験とセンスにより、その曲に対するイメージを確立し、引き出しの中から巧みに動作を引き出し、その動きを乗せていく。それに欠ける選手は、表面を模倣することしかできない。
それでも表現に対する意識やセンスのある選手は、それらの動きを自分の中で咀嚼し、噛み砕き、自分の動きとして表出させようとする。それを日々磨いていこうとするか、エレメンツのみに注力してしまうか、それが「表現技術」の差を生む結果となる。 ちゃんとまとめなおすとコラムの一つでも出来そうだけど今度こそ寝ます
表現技術の定量化
最後に。未だにコンポーネンツ評価を「芸術的」と捉えて「恣意的、好み」と難癖をつけようとする向きもあるかもだが、一部「美しい」という言葉も使われていることから(たしか)、美的要素も含まれるとはいえ、それよりも先に挙げた表現技術を定量化しようとする方向性を取っていると考えるべきかと